東北大震災と福島原発事故。2011/03/11。
九州の大分で衝撃に打ちのめされ、自分の無力さに嘆いた2011年だった。
数ヶ月は仕事が手につかなかったほどだ。
建築関係者は特に、自然の猛威、津波というものに、建築物がいともたやすく流されていく現実に無力感を感じたはずだ。とはいっても、津波に押し流されるタンカーの衝撃にあらがえるような建築物を想定する事は現実的には不可能といっていい。

なにか出来る事はないか。復興コンペに参加し、防災トイレのようなものを提案し、ブロンズ賞を頂いた。
このコンペの提案内容は、被災自治体が無償で活用できるような仕組みになっている。
とりたてて実現したという事は今のところないようだが、せめて、なにかのお役にたてればとの思いだった。

被災地の惨状を視察したところで、物見遊山になりそうだったのでおもいとどまる。
阪神大震災の惨状を調査した経験があるが、被災者の気持ちを逆撫でするような空気になってしまう状況だったから。

そんなおり、大分市で一件の住宅の依頼を受けた。
聞いてみると、福島出身のご家族。
仕事の都合で大分に暮らしており、ゆくゆくは、地元福島に住居をかまえようと土地を用意していたのだが、その土地は福島原発事故で被爆してしまう。御実家も津波で被害にあったという。
ショックから立ち直り、大分に腰をすえて、家づくりを行おうと決断された。
東電との保障の協議がようやくまとまり、ようやく着工を迎える事になった。

御実家も立て替えが出来たらしい。自力復興ができただけでも良かったと思う。
いまだに仮設住宅暮らしの方もいらっしゃるわけだから。

それはそれはつらい御経験をされただろうと思う。
あまり深くはお聞きしていない。

悲しみから立ち上がり、遠く離れたこの大分の土地で新たな拠点を設ける。
その決断にエールをおくりたい。

土地は見晴らしのいい高台にある。万一、大分市に津波が襲ってきても、なんら影響はないであろう土地。
そんな事は起こってほしくはないものだが。
そういった立地を選択できない人もいる。
私などは、その時には被害にあうほかないだろうか。100年に一度。日本に棲むものの宿命だ。
命だけでも助かれば良しとしようか。

私の中でも、この御家族の住居が完成したときに、ひとつの区切りがつくような気がしている。
わずかながら、お役にたてたのではないか、と。
来週から確認申請に突入し、3月初めの着工となる。
おそくとも8月末には完成する運びとなっていくだろう。早ければ6月末。
昨今の状況の影響もある。