ひとはだれしも、程度は違えど、さまざまな挫折にぶつかる。


ポイントは、その挫折に遭遇したとき、どう捉えるかである。

ころんでもタダでは起きないという考え方でもある。

なにかの本で読んだが、挫折という記憶が定着するまえに、成功体験にすりかえていく、というものがあるらしい。

わたしも、いくつもの挫折にめぐりあってきたが、そのつど、記憶をすりかえてきたように思う。

そうやって現在にいたる。

名経営者ともてはやされている人も、過去にはいくつもの会社をつぶして、波乱万丈な人生をつくりあげた人が多い。
つまり、名経営者になる条件として、いくつの修羅場をくぐりぬけてきたのか、という事も必須条件であるような気もしてくる。

つまり、チャレンジをした、という事で、目に見えない大きなポイントをつくりあげたのであろう。
そのポイントの累積によって、次のチャンスがめぐってくるはずだ。

麻雀でも、厳しい状況のとき、ベタおりせずに、果敢にテンパイをめざす。
最後のツモでリーチ。その捨牌でロン。
そういう場合、それは、よい放銃であるととらえていいだろう。
それによって、次の一極はご褒美のような配牌となったりもする。

記憶をすりかえる。
まやかしかもしれないが、それでいいのだ。

今回の挫折によって、こういう学びがあり、それによって新しい道がひらけてきた。
そう、おもう事が大事であるし、そうなるようなアクションを実行する。
そういう事ではないだろうか。

挫折とあきらめた時点でそれは挫折になる。

人生って、結局のところ、死の瞬間までが人生である。
その最後の瞬間に大逆転さよならホームランがあればいいのだ。
長丁場でもある。

人との比較ではない。
心の底から、ああ、いいチャレンジをしたな、と、納得していればいい。

もし、挫折しなかったなら、挫折したおかげで出会えた物、事、人に出会えなかった。
そして、もっと取り返しのつかない挫折にめぐり合っていたかもしれない。
ラッキーだなあ、ととらえるべきだろう。

そうやっていると、おもいもかけないプレゼントがあるはず。
ああ、こういう事に出会うために、あの挫折は存在したんだな、と。
そう思える日がきっとくるはず。

私はそのように思うようにしている。

挫折した時には想像すらしていなかった世界がひらけてくるはずである。