恩師である大分大学工学部教授の佐藤誠治先生の退官の日を迎えた。
まずは、1時間半の特別最終講義を拝聴させていただいた。
大分大学における33年間の活動記録の冊子が配られて、これまでの歩みをまじえながら、都市計画の重要性を説かれていた。
スライドには懐かしいゼミ室での写真もまじえられており、若かりし頃の私の姿もあった。
我々の世代の頃がゼミの拡大発展期であったと振り返って頂いた事がうれしい。
たしかに、スーパーコンピューターが導入されて、一気に研究が高度化した時期である。
その当時の研究成果が現在までも脈動している事がうれしかった。

夜からは祝賀会が催された。150人くらいの関係者が集まり、先生の退官を祝う。
大分市長、国東市長、宇佐市長という来賓の方々が、先生の功績を讃えてくれている。とても誇らしい気分になった。なぜだろうか、涙腺が緩くなってくる。
自由なスピーチコーナーがあり、チャレンジする人がいなかったので、率先して、我々の世代4人で先生への感謝の言葉を述べる。
最初の有田さんのスピーチ、最後の有馬さんのスピーチも感動した。涙腺が緩む。

二次会までは企画されていなかったようで、それぞれ世代毎にわかれて、二次会に繰り出す。
先生も明日出張という事で二次会の参加は難しそうであったが、なんと、我々の二次会場に顔を出していただき、別れを惜しんだ。他の卒業生には申し訳なかったが、15人くらいの卒業生が、先生の退官の夜をともにすごさせて頂いた。記念写真は私の宝になるだろう。

その後、三次会、四次会。帰り着いたのは3:00をすぎていた。最後まで残っていたのは4人。
このような特別な日は、私の人生においても最初で最後。
これが飲まずにいられるか。佐藤先生の18番の一つ「霧の摩周湖」を熱唱した。おそらくは夢の中で先生も聞いていたと思う。有田さんの「えびぞり熱唱」もしっかりと目に焼き付けさせていただいた。
そんな1日だった。

同期との再会もあり、あたたかい気分につつまれた。皆、それぞれの環境で佐藤ゼミのDNAを発揮して健闘している様がうれしかった。
学生時代を振り返り、そして、今日までの道のりを思い返した、感慨深い1日だった。

恩師から受けた影響は大きい。
建築学、都市計画学はもちろんの事、どうやって人生を切り開いていくか。そういった生きていく術を叩き込んで頂いたのは間違いない。

先生との最初の出会いを思い返す。
50人くらいの大学一年生の講義の時。
佐藤先生が「君は玖珠町出身だろう」と声をかけてくれた。
当時、先生は大分県玖珠町の調査をおこなっており、玖珠町への関与が大きかったらしく、玖珠町源流の古後姓を知っていたのだ。素直で空気を読む性格の私、それ以来、先生の授業では、突っ込まれ役として、授業が硬直したときによくいじって頂いた。ムードメーカーとしていじられていたように思う。

それから、最初の設計演習の課題、好きな建築家住宅の模型をつくり、その写真と図面をボードにプレゼンテーションするという課題。講評時に「いいセンスをしてるじゃないか」と大層ほめていただいた。
3年次のゼミを選択する際に、設計や計画を志望する学生には二つの研究室があった。設計を志望していた私は、迷わず佐藤ゼミを選ぶ。そこから、ゼミでの3年間が始まった。
あの3年間は濃密なものだった。スポンジがぐいぐいと知識を吸収していったような時期だったと思う。

優秀な教え子であったかどうか。それは私が死ぬときにはっきりするだろうが、教え子の中で、建築家としてもっとも確固たる実績を積み上げているという事は自負できると思う。さらなる飛躍をとげていければと思っている。

これから先生の第二幕が始まる。現在65歳だからあと20年は現役で活動されている事になるだろうか。
いろいろとお声をかけていただけるよう、これからも奮闘していきたい。
恩師に「がんばっているなあ」と言ってもらいたい。そういった単純な動機が実のところ私のエネルギー源であった。これまでも、これからも。

「社会のために、要請にはノーと言わない!」
これを今後の私の座右の銘と心に刻み、建築というジャンルを越えて、都市、そして景観への拡張を行っていければと思う。