世間はオリンピックでにぎやかだ。2020年の東京オリンピックも待ち遠しい。
建築家業界もオリンピックというか、ワールドカップのような大会がある。
世界建築家連合(UIA)の主催する世界大会が三年に一度、各国持ち回りで開催されている。

2011年9月に、東京大会が開催された。
東京オリンピックのように、東京誘致の取り組みが着々と進められて誘致に成功。
決定後、準備を経て、ようやく開催されたのである。

日本の建築家協会が発足して以来の悲願。
あの丹下健三も熱望していたといわれている。

私も、丹下健三という日本のモダニズムの始祖のような歴史的な建築家の悲願に惜しみなく尽力したいと思った。ちょうど、建築家協会九州支部の役員をつとめていた事もあり、がっつりと参画させていただこうと考えていた。

奇遇にも、そのキックオフ会合に参加させて頂き、キックオフの旗にサインを記させていただいた。

そして、デザイン発表にも採択していただき、パネル展示をゲットする。英語で記述した概要書の審査をパスして認めて頂いたのだ。これは、DVDメディアや冊子にも記録として残り、目下、その書籍が発行に向けて進行中だ。
建築家のオリンピック東京大会の公式記録に痕跡を残す事ができたのだ。

さらに、一万人の建築家展、住宅模型展にも出品した。
九州の片隅から、記念すべき大会に出場できた事がことのほかうれしかった。

おそらく、再び日本で開催されるのは、まさに50年後くらいになるだろう。
次の東京開催の時に生きていられるかどうかはあやしい。
私にとっても最初で最後の東京大会であったのだ。
このような歴史的な瞬間に立ち会えた事がうれしい。
はやく、本が出版されないかと、首を長くして待っている。

3年後の今年、2014年は南アフリカでの開催だ。
なにかに出展できるチャンスがあれば出展したい。
思い切って、南アフリカまで行ってみようかとの思いもある。

このUIAでのデザイン採択があったからだろう、フーズフーインザワールドへの掲載オファーが来るようになった。今年で4年連続の掲載となる。まあ、ありがたい話なので、親孝行と思って、毎年クリスタルトロフィーのようなものを頂くようにしている。

日本の建築家は優秀で、世界各地のコンペを勝ち取り、多くの作品を実現している。
日本建築界はある意味、非常に優秀であるといっていい。
日本経済の低迷で昨今は遅れをとっているとも聞くが、日本を飛び越えて海外で活躍する若手建築家も増えてきた。私もそういったチャンスをつかんでみたいと思っているが、世界に出るのはそう簡単ではない。

であるから、オリンピックの日本代表の方のすごさが身にしみてわかる。
世界で勝負できるという事がどれほどすごい事か。
メダルならずとも、すごい事なのだ。

アスリートと違って、建築家の勝負は長い。
私も死ぬまでに、さらなる高みの痕跡を残せたら、と考えている。