恩師、佐藤先生の33年間に渡る活動記録の冊子を読む。
275名の卒業論文を指導し、275名の「学士」を産み出す。

そして141名の修士論文を指導し、141名の「修士」を産み出してこられた。

そして、18名の博士論文を指導し18名の「工学博士」を産み出したのである。大分大学に博士後期過程が設置されたのは1995年の事。現在までの19年間で18名。博士後期課程は最低3年間だから、ほぼ毎年一人の工学博士を産み出したという事になる。
この人数は、大分大学の中でダントツトップの数といっていいだろう。一般的な研究室の二倍から三倍の人数になる。

学術論文は135編。口頭発表等は471編。驚くべき数である。
研究者としての側面だけを見ても、これだけの偉業を成し遂げられた。

これだけではない。

講演は128回。県や各種団体が主催するものばかりだ。

委員会任命は284回に及び、そのうち、委員長などの役職を勤めたのが60回以上もある。

大分県内の施設整備に係った案件は、30件に及ぶ。大分県下の重要な公共施設にはほぼすべて関与しているといっていい。

記事執筆は、480件にも及ぶ。全国紙から地方紙、雑誌、機関誌と、幅広い。

国際交流活動もすごい。
留学生の受け入れは37名。
海外調査回数は101回。
国際交流協定を締結した大学が世界の27大学に及ぶ。

さらには、大分大学の副学長までつとめられた。工学部ましてや建設工学科の教授で副学長までになった人は皆無である。

33年間に獲得した研究助成費もダントツのトップである。たぶん。

写真の腕前はプロ級。世界各地の景観や建築の写真を撮影し、個展まで開催された。

お酒大好き、カラオケ上手。家庭菜園もプロ級。料理もできる。

お子さんが4人。孫も2人目ができた。

プライベートもなんとも多才である。

こうやって、客観的に記述すると、一人の業績にはとても思えない。
10人分の働きであったように思う。
大分大学が産んだ巨人。そのように表現してもいいだろう。

大学教授でここまでバランスのとれた活動をされる方は皆無といっていいだろう。
研究者かつ企業人ともいえる。
大学というフィールドは先生にとってはひょっとすると狭苦しかったのかもしれないが、所狭しと、痛快に駆け回った33年間であったのではないだろうか。

先生の第二幕。近々に大分市中心部にオフィスをかまえられるという。
ひょっとすると、これからの活動は、これまでの33年間の実績を越えていくように思えてならないのだ。