私の父方の祖母の系譜について。
祖父の古後米蔵さんは、東京で10歳下の女性と出会い結婚した。
川嶋シズ。いまでいう東京都杉並区で大工の頭領の家で生まれた。
頭領の家は周辺に職人さん達の長屋も整備していたらしい。
毎朝、職人達が集合し、頭領は、あちこちの現場に差配をおこなっていたという。
剛胆な人だったらしく、やくざ者がやってきても、小銭をばらまき、それを拾って帰れ、と一喝していたという。祖母は、やくざ者が、小鳥のように小銭を拾っている姿がおかしかったと記憶していたらしい。
強盗が来ても、意に介さず、刃物を畳に刺し、金を出さないと家に火をつけるぞ、と、おどされても、火をつけてみろ、と動じない。火をつけても、障子紙がもえるくらいで、防火に配慮した精巧なつくりの家だったらしい。天井の裏には断熱もかねて、土を敷いていたからだという。川嶋初五郎さん。私の曾祖父という事になる。

祖母が玖珠にきてからは、川嶋家とは疎遠となっていたらしい。年賀状が届くくらいだという。
親父の従兄弟にあたる人は、学徒動員で、杉並にあった中島飛行機の工場にいったという。
中島飛行機といえば、ゼロ戦のエンジンなども作った、当時の一大航空機メーカー。
東京に爆撃が始まる頃には、真っ先に標的にされた。
勤労奉仕の子供達を防空壕に避難させ終えたところで、爆弾か機銃にやられて亡くなったという。

川嶋家の古い先祖に川嶋銀蔵という人がいたという。
水盛り大工(用水路の設計と施工)で、その技量が評判だったらしく、そこらへん一帯の用水路完成の功労者として石碑に名前がきざまれているという。
以前、NKHで暗渠マニアの人が春の小川の源流を探る番組があったが、その人が銀蔵の仕事ぶりに着目し、いろいろ調べ上げてくれていた。馬橋の銀蔵、とよばれていたとか。
祖母の生家の住所も杉並村馬橋と記載されている。馬橋の川嶋さん。私の祖先達という事でまちがいなさそうだ。

今度、東京に赴くときは、杉並区の馬橋あたり、川嶋家の菩提寺など、歴訪してみようかと思う。
今ではすっかり疎遠になり、どこでなにをしているのかもよく分からないというが、設計事務所を経営していた人もいたそうだ。

古後家、川嶋家、千々谷家、大蔵家。
この4つのDNAが私の中にある。

武家の系列で獣医となった古後米蔵。
大工の系列であった川嶋シズ。
商売人の系列であった千々谷進。
教育者の系列であった大蔵絹江。

じっちゃん、ばっちゃんの名にかけて。
系譜をひもとけば、私が何をなすべきか、という事がおぼろげながらに見えてくる。
六本木に開設した東京オフィスも、杉並区の馬橋あたりにうつしてみようか、と思い始めた。