お笑い芸人の小藪がとある番組で話していた事。
今では、吉本新喜劇最年少座長としてだけでなく、多くの番組を持ち、売れている芸人さん。
妻と子供にもめぐまれ、順風満帆といっていい。
しかし、順調になってくると、ありがたい状況だというのはわかるが、毎日仕事に行って、帰り、の繰り返し。これを死ぬまで続けていくのか、と思うと、憂鬱になる。
そんな話をしていた。

一方、今田は、好きなテレビ番組を見るのが楽しくて、あと4話も楽しめるから、毎日ハッピーだ。といっていた。

極端な対比で笑いを誘っているのだろうが、捉え方ひとつでこうもかわってしまうのか、と思った事がある。

人は安定を求め、そして、安定に慣れると刺激に飢えてくる。そういう生き物のように思う。

私など安定とはほど遠い職業に身をゆだねているので、毎日が刺激ばかり。
なんとか安定する道はないものか、と思案するが、安定と引き換えに失うものも多いので、いや、これでいいのだ、と自分に言い聞かせる。そのような毎日だ。

昨今、大企業に就職したといって生涯安泰とは決していいきれない側面がある。
そして、安定の象徴たる公務員になったからといって、毎日が刺激がないわけではない。

我々建築家に対して、形の残る仕事をされていていいですね、と、言われる事が多い。
たしかにそういった側面もあるが、安定した日々を送っている方を見ると、いや、そちらこそ、いいですね、と思うものだ。

そして、小藪同様に、仕事が順調に推移していると、それが当たり前のような気分になり、ああ、こういったルーチンなのか、と、複雑な気持ちになったりするものだ。
これでいいのか?と。

土日や連休に、家族で行楽を楽しむ。そういったごく平凡な事すら、我々は、満足に出来ず、仕事にかり出されている。いや、それを言い訳にして、そういった平凡な事から背をむけようとしているのかもしれない。

ヒート、という映画の話をよく持ち出すが、あの映画は、プロの窃盗団のボスと、敏腕刑事の話。
危険を感じたら30秒フラットで高飛びできるように、いっさいのプライベートを切り捨ててきた、孤独なボス。一方、敏腕刑事も、より高度な悪党を捕まえるため、家庭をボロボロにして、日々仕事にはまる。
その二人、互いの実力を認め始め、奇妙な共感がうまれる。
「俺が休日に息子と公園でキャッチボールをしたい男に見えるか?」「いや、見えない。俺もそうだ」
そういった、男の身勝手な話を、デニーロとパシーノが演じる映画だ。
結局、あれほど、プライベートを切り捨てていたデニーロに最愛の女性があらわれる。
高飛び一歩手前で、仲間の復習のために、危険をおかす。
その車をターンさせる瞬間。
このまま、自分の心の叫びを封じ込めたならば、南国での平安な日々がまっているはず。
しかし。
あえて、リスクを犯し、結局死んでしまう。ハッピーエンドにしないところが刹那的だ。

小藪の憂鬱。贅沢な悩みだというのは間違いない。小藪であれば、大阪ローカルと新喜劇だけで充分やっていけるだろうと思う。デニーロのように、それをかなぐり捨ててリスキーな事に舵を切る瞬間がくるのかもしれない。

そういう男を見たならば、嘲笑するよりは、よくぞチャレンジした、と、エールを送りたい。
私はそう思う。
家族にとっては、いい迷惑かもしれないが。