藤森さんの文章を読んでいて、家ほめ、という言葉に出会った。
普請道楽の家を訪問したさいに、気の利いた「家ほめ」ができるかどうかが、大人のたしなみであったらしい。たしかに、和風住宅にお住まいのご主人など、この床柱はなになにで、と、自慢話が続く。

モダニズム建築を信奉する建築家の私は、これらの家ほめ、の概念がない。
空間を論じるのか、素材や施工精度を論じるのか。

渡辺篤史の建物探訪などは、現代版の家ほめ番組ともいえる。
たしかに、この渡辺篤史さんは、日本で最も家ほめがじょうずな人といいきってもいいかもしれない。
しかし、この人は、空間の気持ちよさを気持ちよく表現しているので好感がある。

オープンハウスなどで、訪問者を迎えてみると、やはり、二種類の人がいらっしゃる。
空間を見に来る人が、わたしとしてはうれしいのだが、現代版家ほめの方もいらっしゃる。
現代版の家ほめ。
木材の素材などから、大半は、設備機器などの家ほめが多い。
どこそこのシステムキッチンですね、とか、金具とか。
我々建築家が介在していないパーツばかりを見ているようにもおもえる。
これって、ハウスメーカーのモデルハウスめぐりになれきってしまった方々なんだろうなあ、と思う。

昔の住宅は、タタミモジュールで間取りだけで成立していた伝統があり、ほぼ、間取り以外は自動的に共通のスタイルでできあがる仕組みだから、ほめる部位は、必然的に、素材や職人技くらいになってしまったという。差別化がしにくいのだ。
iPhoneのケースをほめているようなものだ。

ひるがえって、現代の住宅事情は、いろいろなものが混在している。
家ほめの範疇もいろんなジャンルに拡大している。

場合によっては、建築家のつくる住宅など、脳内がパニックになるケースもあるだろう。

コンクリート打ち放しの住宅を見に来て、塗装合板型枠のグレードをほめたり、コンクリートのスランプ値をほめたり、Pコンの割り付けの美しさをほめたり。

しかし、この家ほめ、という伝統芸、なにか、現代版で復活し、確立してほしい気がする。
家ほめマイスターとか。建築家住宅を家ほめできるようになれば最上級マイスターだ、とか。
そこまでいけば、建築家住宅というものがマジョリティになっているはずだが。