母方の祖父は千々谷姓だ。(ちぢや)と読む。めずらしい姓といっていい。
源流をたづねてみると、日田市と近い吉井町で祖父が出生したらしく、その元をたどると、星野村に行き着くらしい。
現在の八女市星野村。星がきれいという街づくりをおこなっている。
古くは、星野氏の拠点として栄えたところらしい。
地名に千々谷というものがのこっており、千々谷河川公園などは、イベント開催の場所として親しまれているという。

星野村から吉井町、そして、日田市の小渕。そして玖珠町の塚脇と、商売のため、点々と移り住んだ事がわかる。魚を売るのが代々の商売だったようで、祖父も玖珠町の塚脇にて「いりこ」などの乾物やらの小さな商店を営んでいた。
小さい頃、祖父のところに遊びにいくと、店先にいりこが高く盛りつけられていたのを思い出す。
母は、ちょいちょい、いりこをおやつがわりにつまんでいたという。

星野村にて、星野氏の庇護のもと、商いをはじめた家系だったのではないかと想像する。地名に残っているという事を考えれば、星野氏の分家のひとつかもしれない。
千々谷家の言い伝えとして、太宰府天満宮に参拝してはならない、というものがあったらしい。
歴史をひもとくと、星野氏と菅原道真はなんらかの抗争があったとある。星野氏の系列にあったと考えてよさそうである。
私もそれにあやかって、太宰府天満宮には極力行かないように配慮しようかと思った。
これまでに結構行った事があるのだが。

こういった歴史の話はおもしろい。
たとえば、山口県の毛利氏では、正月に、今年こそ倒幕しますか?と問い、いや、まだだ、というような儀式を行っていたという説がある。時間軸の長い儀式だなあと思う。
いまでも、会津出身の人が鹿児島出身の人に、貴様は薩摩か!と激高するようなシーンがときおりある。
戊辰戦争の記憶がいまだに残っているという知的なユーモアのひとつだろう。

千々谷という姓もめずらしい。私の従兄弟達がその名字を引き継いでいる。
おそらくは絶滅危惧姓のひとつだと思う。出来るだけ大事にしてほしいと思う。

祖父の千々谷進さん。
若い頃の写真を見ると、野球をやっていたらしく、ぱりっとしたユニフォームを着てさっそうとした姿であった。戦前の話だ。消防の青年団などにもはいっていたようで、背も高く、そうとうモテたらしい。
祖母が一目惚れしたのではないかと思う。モボ、モダンボーイであったのだろうか。
モボ、モガ。当時から省略する文化があるというのはかわいいものだ。
戦前の日本の写真をみると、想像以上に洗練されておりモダンだ。
戦後直後の写真と比較すると雲泥の差がある。すべて破壊されてしまった。

酒が大好きで、晩年は酒を口に含み含み、将棋を指していた。飲み込むのが惜しかったのだろう。
本当の酒好きの飲み方だ。たっぷり飲んで大往生した。
亭主関白そのもので、惚れてしまった祖母は惚れた弱みで辛抱しつづけたが、晩年、大げんかして祖母がプチ家出をした。家出といっても、娘である私の母のもとにいたのだが。
そんな大人の事情がわからずに、私は一時的に一人ぼっちになった祖父の世話役として、母の指令をうけて、おくりこまれた。私とすれば、好きなテレビが好きなだけ見れるから喜んで祖父の元に通ったものだった。
ほどなくして、仲直りをした。祖父母のユニークな離婚騒動の顛末だ。
祖母はやはり惚れていたのだろう。祖父を先に見送り、はやく進さんの元に行きたいといっていた。
昨年、90歳を越えて大往生をした。

古後姓も絶滅危惧姓であろう。以前、電話帳データでしらべたところ、全国で300人くらいしかいなかった。昨今の少子化によって、これから激減していく事は目に見えている。

こうやって考えると、多くの日本の姓がつぎつぎと途絶えていく状況になる。
日本の人口も2050年頃には一億人を下回り、5000万人くらいになっていくのだろうか。
もはや少数民族の部類に突入していくのかもしれない。
そうなると、日本文化をもう少し大事にしていかないと、と思う。
もしくは、日本経済が復活し、ベビーブームの再来がおきないだろうか。そのように思う。