人生の羅針盤が混乱してしまったとき、北斗七星のようなベンチマークを求める。
ベンチマークというのは建築用語のひとつでもあり、地盤面の高さを表現するとき、半永久に高低差がかわらないポイントをベンチマークと設定し、そこからの高さを求める。
まよったら、すかさず、ベンチマークに立ち返るといっていいだろう。

私も、建築家という生き方をする上で、ひとまずは大分県の数人の方を勝手ながらベンチマークとさせていただき、その背中を追いかけながら、今日まで、歩んできた。

38歳くらいのとき、当時のJIA会長であった出江寛さんのお世話役として、JIA大分会の建築展をご案内してまわる。出江さんなど、もう、私にとって、雲の上の存在。おそるおそる、私自身のブースにご案内した。
案の定、まだまだ沈黙の建築の域ではない、と、一喝されるが、君はいくつだ?と聞かれて38ですと答えると、少し驚かれていた。
「38歳といったら、私はまだ竹中でダラダラしていた年齢だよ。そういう意味では立派なものだ」
とほめていただいた。
それからほどなくして、日事連の優秀賞をいただき、全国大会で表彰台に登ったとき、出江さんも来賓として壇上におられた。私の方を見て、おや、見た事あるヤツだ、というような表情をしていた。

そうか、いつまでたっても、出江さんのような境地には追いつけそうもないが、38歳の出江さんであれば、勝負させてもらえるかも。そのように思った。

それ以降、偉大な先輩を見て、萎縮するだけではなく、私の年齢の時にどうだったか、という事を考えて、励みにするようになった。おそらくは、皆やっている話だと思う。

幾人かの後輩建築家には、古後さんをベンチマークにさせていただいています、と言われる事もある。
もっとすごいベンチマークを探せよ、と、答えるが。
伸びてきた後輩に対しては、私が君の年齢のころには仕事がなくてつらかったよ、などと答える。

当社の宗ちゃん、27歳。
27歳の頃の私といえば、ゼネコン設計部でダラダラしていたときだ。それから比較すると、志、スキル、素直さ、いずれもレベルは高い。

ベンチマークも年齢と実績に従い、変化していくものだ。
生きている時代が違うので、単純に比較できるものではないが、同じ年齢のときにどうであったか、というのは、ひとつの目安にはなるだろう。

今年で創業17年目。なんだかんだで45歳になる。50歳はすぐそこにせまっており、創業20周年もあっというまに来るだろう。気分はまだ若いつもりであるが、もう充分、壊れかけのオジさんだ。

これからの羅針盤をどこに向けるか。試行錯誤は続く。