一戸建て住宅にピアノ、というのは、豊かさの象徴であったと思う。
私の実家にもアップライトピアノがあった。
先日、いよいよ、ピアノ無料引き取りサービスで撤去してもらった。
年に数回、「猫ふんじゃった」が弾かれるだけの、大きなインテリアとして、狭い室内でふんぞり返っていたように思う。
35年以上前のピアノ。査定では金額がつかなかった。
リフレッシュされて、海外に輸出されるようになるのだろう。

住宅の設計をすすめるにあたり、ピアノの置き場所に苦労することが多い。
大型の婚礼家具なども苦労させられるものだ。

毎日ひくわけでもない。捨てるに捨てられない。インテリアとしてはでかすぎる。
日本のコンパクトな住宅にはアップライトピアノですら大きすぎる。

両親に聞いてみると、35年前の当時、ピアノがブームになったという。
高度成長期、豊かさの象徴。
子供の情操教育のため、という大義名分があった。
あちこちの家庭で見栄の一つとしてピアノを買ったのだろう。
各家庭に常備されていた百科事典セットと似たような境遇のように思えるのだ。

ピアノの引き取りサービスのトラックには、たくさんのアップライトピアノが積み込まれていた。
1日でこれだけの量を回収しているのかと驚く。
日本の高度成長の残骸のように思えた。

最近のピアノ事情はよく知らないのだが、軽量小型化され、電子化され、ヘッドフォンや自動演奏などの機能がついているのだろう。iPadのピアノアプリで充分になっているかもしれない。
日本の中古ピアノはもはや日本では売れない。海外に輸出するビジネスが隆盛らしい。

音楽に満たされた日常生活というのは、たしかに憧れがある。
夜、ブランデーでほろ酔い。ピアノをつまびく。
家族で連弾。
即興でセッションが始まり、シューベルトの魔王をオペラで歌う。ダンスする。

そんな日常は永遠に実現しない。実現できるのはごくわずかな家族だ。

無理をする必要はないと思う。

ピアノ、大きなステレオセット、ソファー応接セット、大きな仏壇。
高度成長期の残骸。
核家族化で、実家に取り残された大量の家具。

ピアノを軸に、なにか文化論を語る事ができそうだな、と思った。