エーアールジーにおいては、社外取締役という事もあり、若手スタッフとは幾分フランクに接するように心がけている。


休憩中に、その都度、いろんな子と話し、笑い、さて、後半も頑張ろうか、というノリ。

さて、先日、管理者養成学校への研修を命じられた若手と休憩中の雑談。
研修を命じるというか打診されるというのは、文字どおり、幹部候補として白羽の矢が立っているという証。
よかったな、頑張れよ、と、話していると、実は、中学の同窓会とバッティングしたのでお断りしました、という。

あれれ。
そこには、完璧に逃げたい気持ちがある、ということをすぐ察知した私は、優しく諭す。
中学の同窓会と会社からのある種の命令である高額な費用を会社が払ってくれる研修。どちらが重要かと。
めんどくさいだろう研修、逃げていても、いつか、行かねばならないよ、と。
いや、もしくは、もう二度と声がかからないかもよ。
社長に、やっぱり行きます、と言ったらどうか、と。
強制するわけではないが、やんわりと伝えておいた。
リアクションが心もとなかったので、無理かなと思っていた。

数日後、彼から、やっぱり、研修に行くことにしました、と、明るい報告があった。
でかした、と、褒め称えた。
そして、幾分のアドバイス。
これから生きて行く上で、いくつもの選択肢が出てくる。右か左か。
その時は、しんどい方をチョイスする癖をつけとくといいよ、と。
ああ、しんどいな、と、自分の心が呟いたならば、待てよ、と、自動的にしんどい方を選ぶくらいの感覚。
それを繰り返していると、思いもよらない高みに上っているケースがあるよ、と。
そんなアドバイスをしたのだった。

私の経験値を思い起こす。
高校に入って、何か部活をしようと思った。
何にするか。中学で何もやってなかったので、楽なものがいいかな。いや、ラグビー部がある。
何かしんどそう。よし、決めよう。
誰にも相談せず、友達を誘うでもなく、単独で飛び込んでいった。
この選択により、体育会系の爽やかで充実した高校生活となった。肉体的にも強靭になった。
大学もストレートで合格。文武両道であった。

大学時代のアルバイト。測量補助の仕事。離島に行ったり、山の頂上に機材を運んだり。めんどくさそう。
よし、これにしよう。これがきっかけで、数年後、この会社を訪ねて、東京でのアルバイトに結実する。
しんどそうな仕事というコンセプトで大学の期間、30種類に及ぶ仕事を経験した。

大学の研究テーマ、地味でしんどいテーマ。幾つか選択肢があり、駄々をこねれば違うものも選べていた。
皆が敬遠している。よし、これでいこう。
地味さとしんどさに耐えて、院に進んだときは、この時に習得したプログラミングの知識が生きて、研究室の花形のテーマ、そして、独自のテーマにまで花開いた。そして、大手ゼネコンの設計部の扉をこじ開けた。そのゼネコンで設計での採用の第一号となった。

社会人になり、2年目、阪神大震災。大阪に応援に行く。
ここで、大阪支店に来ないかと誘われる。
本社の華やかな仕事よりは、地味でハードな仕事。しかし、仕事を早く覚えられるし、カッコよく見えた。
よし、転属願いを出そう。
支店から本社への転属願いは多々あれど、逆は皆無。
そこでの3年間で実務能力を鍛えていただき、独立の道につながる。

建築家として29歳で独立。大したあてもない中であった。
やっていける自信はなかったが、よし、しんどい人生をチョイスする。
そう決意した。生涯に50作品作れたら本望。そんなささやかな目標を立てた。
19年目のほぼ折り返し地点で、完成作品は100作品に迫ろうとしている今現在である。

分離発注というしんどそうな領域に出会う。
建築家たるもの、現場の管理くらいできなくてどうする。
颯爽と、しんどい世界に飛び込んだ。
そして、分離発注を実践しながら作品性をどう追求するか、という、よりしんどい世界に目が向く。
奮闘してできた分離発注最初の物件、私にとって6作品目。
建築家協会の新人賞の最終審査まで突き進んだ。建築家協会ほど分離発注に程遠い世界はない。
その他、多くのビッグな賞をいただいたのである。
そこで、沖縄の友との交流が生まれる。青空とエーアールジー。現在の布石になっているのだった。

組織の急拡大、そして、ミニマム化。
その都度、しんどい方をチョイスしてきた。
超ローコストでしんどそうな仕事。逃げずに取り組み、グッドデザイン賞を獲得する。
ブレイクするきっかけとなった。

しんどい時期によりしんどい事にチャレンジするような形で、法人化もできた。

現在、沖縄と大分の二拠点を行き来する境遇である。
明らかにしんどいわけである。休みがほとんどなくなるのだから。
しかし、よし、とチョイスした。

そのおかげで、おそらくは、一人の建築家がなかなか味わえない境遇で、日々を奮闘している。

倫理法人会のモーニングセミナー。朝早起きせねばならない。しんどいのだが、せっかくのお誘い、伸るか反るか。
よし、参加しよう。おかげで、多くの方と知り合いになれてかわいがっていただいている。

つい最近も、男の料理教室への参加を誘われた。
料理くらい出来るといいなとは思うが、なんか、しんどそう。
幾分、躊躇していたが、よし、参加しようと決めた。

おそらく、未知の扉が開かれるに決まっている。
ちょっとした料理道具を揃え、休日にささっと料理し、ガールフレンドに振舞っている未来が待ち受けているはず。

ちょっとしんどい方をあえて選ぶ。

そうやって、人生も仕事も、思いもかけないスケールで展開していくものだ。
きっと、そう思う。

今現在の自分は、どこからスタートしているか。
沖縄と大分という二拠点でやっているのは、分離発注に取り組んだからこそ。
分離発注に意識が出たのはゼネコン設計での経験で、価格の不透明さと多重下請け構造を間近で垣間見たからこそ。
大手ゼネコン設計に入れたのは、しんどい研究にへこたれなかったからであり、大分大学をチョイスしたからであり、文武両道で合格できる根性をラグビーによって培ったからである。

中学までの受動的、成り行き的な人生が、高校の部活動でラグビー部に入るぞ、と、一人で決断したあの時。
15の夜の出来事である。盗んだバイクで走り出し、校舎の窓壊して回ったあの時期でもある。

幼いながらも、しんどい方を意識的に選んだのだった。