愛国者を自負する私にとって、「永遠の0」は、読み、見なければならないもののひとつ。
21日に映画公開。そのまえに、原作を読んでおこうと、文庫本をアマゾンでとりよせた。

私の身内の戦争体験者は、二番目の父方の叔父が一番身近だ。叔父は中国戦線におくりこまれたという。
生きてもどってはきたが、なにを見、体験したのか、帰還後、敬虔なクリスチャンとなった。詳細は墓場までもっていった。事業家としてたっぷりかせぎ、たっぷり寄付し、いくつもの教会建設に貢献してきた。死ぬ間際には、文字通り身一つで旅立った。両親は戦中の困窮生活を体験し、学校の先生が敗戦後、くるっと反転していく様をリアルに見ていた。

知覧飛行場、靖国、沖縄。先の大戦のゆかりの地にはできるだけ赴いてきた。学校の歴史の授業ではほとんどふれられていなかった、先の大戦とはなんだったのか。自分なりに多くの書物を読む。

さて、原作を読み込み始める。ふた晩で読み終えた。
大泣きさせられてしまうとの評判であったので、期待値はあがる。

孫を語り部にして、じいちゃん世代にインタビューしながら、当時の状況を描き出すという構成だった。
戦争ものでは王道のスタイルのように思う。
大和のときもそうだった。

架空の存在であるじいちゃんをとにかく不死身の存在にして、各戦線に送り込み、史実とうまくからめながら、太平洋戦争の壮絶さを描き出している。

この発想は私も以前、不死身の分隊長と呼ばれた船坂さん、という存在を知ったときに、おもいついた。
この船坂さん、とにかくすごい。一人で敵陣に乗り込み、ほぼ死にかけて、死体置き場に放置されているところで蘇生し、敵の飛行場を爆破して生還したという。まるで、実在したダイハード。
船坂さんをモデルにして、アンブレイカブルのような存在にして、各地の激戦地に送り込み、先の大戦を生々しく描くと壮大なスケールの映画になる。

さて、太平洋戦史にいくぶん詳しい私にとって、すでに知っている事実が淡々と続く。歴史のおさらいをやっているようなもの。太平洋戦争の知識のない世代にとっては、かっこうのテキストだろう。そういった意味合いにおいては良作といっていいだろう。教科書的といっていい。これが300万部売れたというのは、日本にとって良い事だと思う。右傾化しているわけではない。普通に戻るのだ。

だが、もう少し詳しい人達にとっては、少し物足りないのではないだろうか。

私が興奮するのは、純粋な戦闘機としての性能と練度の高いパイロットの描写だ。
アメリカのパイロット達は、零戦に何度も撃墜されるが、パラシュートで生還し、ゆっくり休養し、ふたたび乗る。そこが大きな違いだ。
戦後、双方の生き残りのパイロットの交流のときは、当時殺し合ったのだが、戦闘機乗りとして、互いに尊敬の念がおこり、讃え合ったという。
米軍と日本軍のパイロットとの永遠のライバルとしての戦い。戦闘機乗りとして人生をかける若者の青春の姿。その対比。それを主軸に、悲惨な戦争を語る。そういったストーリーが見たい。硫黄島のように、日米双方からの視点で描くべきだろう。クリントイーストウッドに零戦をテーマに描いてほしいと思う。

特攻をテロリストと同列に語る単純な人が作中にも登場するが、そういうものではない。すりかえだ。
ハリウッド映画でも、宇宙人の襲来に対して特攻するしかない時に特攻していく様は多く描かれている。
零戦には特攻がつきまとうので、飛行機乗りの青春グラフィティーのようにはまとめにくい部分もある。

小説では、最後にどんでん返しがある。最後の最後で泣かされた。米兵の証言で幕を閉じる。

この零戦パイロットのモデルは、ミズーリに特攻を成功させたパイロットがモデルであるとされている。
さらに、その他のエース級のパイロットの実話を盛り込んだものらしい。
完全無欠なパイロット。

この小説に対して、同じく零戦をあつかった宮崎駿は酷評しているらしい。宮崎駿という天才は、趣味趣向は右寄りなのに、思想は左というねじれを内包した存在だといっていい。ウォーギルドプログラムの洗脳下にまだある。

さて、この原作が映画化される。21日公開。これは、見にいかねばなるまい。
映画化されて、よりよくなっていてほしいものだ。

あわせて、百田さんと渡辺さんの対談本、零戦と日本刀、を読む。
日本刀と零戦の共通項は、防御を切り捨てているという事らしい。そして、武器にまで芸術性を求める。
そこが、日本文化の神髄である。特攻という戦術の愚というものに至ってしまったのも、死に対する美学に深い関連性があるように思う。

先の大戦で命を捧げた若者達の思いを無にしてはならない。